はじめまして。
谷口総志(たにぐちそうし)と申します。
安定を捨てて、単身オーストラリアへ
当初こそ職場のお荷物だった自分ですが、
必死で業務の知識と経験を身につけた甲斐あってなくてはならない戦力となり、
かつては苦手で仕方なかった心電図も、いまや誰よりも得意になっていました。
後輩をはじめ、まわりに頼られ、
信頼を得ているのが自分でもわかるくらい、
順風満帆で充実した日々だったと思います。
ただ、そうやって目の前のものごとが順調に進むようになって余裕ができたとたん、
それまでは心の奥底に追いやっていた夢が、
再びムクムクと大きくなってきていました。
その夢とは、海外で生活してみること。
昔からずっと、一度は海外で暮らしてみたいと思っていたんです。
これまでは、いつか叶えたいと思いつつも日々の仕事に追われ、
とてもじゃないですが、その夢を現実に移すことなど考えられませんでした。
そして、ようやく余裕が出てきたら、
今度は、せっかくの安定と充実を捨ててまでやるべきなのかという思いも・・・。
とはいえ、当時の僕はじきに30歳。
遅らせれば遅らせるほど、夢を形にするのが難しくなるかもしれない。
もし、けっきょく夢を叶えられずに一生を終わってしまったら
死ぬ前に笑うことなんかできない。
そう考え、自由が利くいまのうちに飛び出そうと決意し、
片道切符だけを握りしめてオーストラリアへ旅立ちました。
29歳の秋のことでした。
オーストラリアでの生活は、期待していた以上に刺激的で、
月並みな表現ですが、僕の人生観を変えるような出来事の連続でした。
オーストラリア大陸を一周すべく、現地で車や道具を購入して移動し、
テントで生活する毎日。
資金が途切れたら現地で働き、小銭を稼いだら、また次の土地に向かう。
そんな生活を10ヶ月ほど続けました。
ときには船で島に渡って働き、
ときには野生のカンガルーとに出会い、
ときには原住民族アボリジニと一緒に絵を描き、
ときには砂漠の真ん中で車が止まって絶望にさいなまれ、
ときには食事もノドを通らないほど不衛生な環境で生活したり、
でも、そんなことも、今にも降りかかってきそうな星空を眺めていると
ちっぽけなことに思えてきたり…。
決して楽しいことばかりではなく、大変な思いをしたこともたくさんあったけど、
そういうのも引っくるめて、あのときのすべてが最高の思い出です。
でも、なにより良かったのは、あの旅の最中に
ひとりの日本人女性と出会えたことかもしれません。
3ヶ月後、その人は僕の妻となりました。
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目次
3. あの人が心電図を読めるなら、自分にもできないわけがない!
4. 人生を変えた言葉その1「人に説明できてはじめて理解したことになる」
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心電図の研修に参加しても見方、読み方がわからないあなたへ谷口総志からの提案
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